死別という出来事は、人の心を根底から揺さぶります。 私の場合もそうでした。大切な人を失った後、私の心はまるで「皮膚を剥がされた」ように敏感になっていました。
周りの人から投げかけられる、何気ない言葉の一つひとつ。
「早く元気になってね」 「旦那様は、泣いているあなたを見たくないと思うよ」
今思えば、それは相手なりの「優しさ」だったとわかります。でも、当時の私にはそれが全く響きませんでした。むしろ、「分かっちゃいるけど、できないんだよ!」という行き場のない憤りを感じ、相手を攻撃してしまうこともありました。
なぜ、優しさがこんなに痛いのか。 それは、私と相手の間に「世界の分断」が起きていたからだと、今ならわかります。
私たちは、それぞれ違う「独立国家」に住んでいる

相手が「良かれ」と思って言った言葉でも、受け取る側が傷つく。 このミスマッチが起きたとき、私たちはよく「そんなつもりじゃない!」と自分の正しさを主張してしまいます。
でも、一度傷ついてしまった相手にとっては、それが「真実」なのです。
- 私の世界:相手を励まそうとしている世界
- 相手の世界:傷つけられ、馬鹿にされたと感じている世界
ここで世界は分断されています。 喧嘩が「平行線」になるのは、同じ土俵で「どっちが正しいか」を争うからです。
でも、「すべての人は、一つの小さな独立国家である」と考えてみたらどうでしょうか? 言葉も、ルールも、正義も違う国同士。そう思うだけで、ふっと肩の力が抜けませんか?
自分を守るための「境界線(ボーダーライン)」

死別当時の私は、多くの人間関係を自ら遮断し、分断してきました。 当時は「なんて自分勝手なんだろう」と自分を責めましたが、今ならはっきりと言えます。
「自分を守るために、境界線を引くことは絶対に必要なことだった」と。
相手の国のルールに合わせる必要はありません。
- 「あなたの国ではそうなんですね」と、一旦受け入れる。
- でも、「私の国のルールは違います」と、自分を尊重する。
この境界線を持つことが、対立を激化させないための、そして自分を壊さないための「外交」なのです。
外交ルートを開くか、距離を置くか
もちろん、どうしても受け入れられないこともあります。 自分の世界のルールに相手を従わせようとすれば、それは「戦争」になってしまいます。
そんな時は、自分で選んでいい。
- 歩み寄って、話し合う余地を探るのか
- 今は「国交断絶(距離を置く)」して、自分を守るのか
最近の国際情勢を見ていても感じますが、外交は本当に難しいもの。でも、自分の国の王様(主権者)は、自分自身です。
孤独の先にある、本当の優しさ
境界線を持つことは、時に孤独を伴うかもしれません。 でも、お互いの「世界の違い」を認め合うことで初めて、本当の意味での深い関係性が築けるのだと私は学びました。

死別という深い傷を負ったからこそ気づけた、「世界の違いを受け入れる生き方」。 もし今、あなたが人間関係に疲弊しているのなら、まずは自分という小さな国の周りに、優しい境界線を引いてあげてください。
あなたの世界は、あなた自身が一番に尊重していいものなのですから。
