「悲しみは同じ」に感じる違和感。死別15年で気づいた、私だけの「プライド」

「悲しみは同じ」に感じる違和感。死別15年で気づいた、私だけの「プライド」

夫を亡くした直後の数ヶ月は、あっという間に過ぎました。

あちこち役所に行ったり、悲しんでいる暇もなかったように思います。子どもがいて、夫がいなくなる。こんな不安なことはありません。

正直、ただ悲しいと言っているだけではいられなかった。悲しみと同時に「生きていく」ことを考える日々でした。

この記事では、死別後に私が感じた言葉への敏感さと、そこから生まれた「プライド」のようなものについてお話しします。同じように大切な人を亡くした方、言葉に傷ついた経験のある方の参考になれば嬉しいです。

悲しんでいる暇もなかった、死別直後の日々

死別直後は、本当に目まぐるしい日々でした。

葬儀の手配、役所への届け出、保険の手続き、遺品の整理、子どもの学校への連絡——。やらなければならないことが次から次へと押し寄せてきます。

私の場合は、生きていく力もないのに、生きていかないといけなくて、自分の弱さを本気で考えさせられました。

あれは、しんどかった!

夫がいなくなった現実を受け入れることもできていないのに、もう次の現実が待っている。悲しんでいる時間なんてない。そんな状態でした。

生活が変わるということは、新しい生き方を受け入れるということです。

悲しいだけじゃなく、無理矢理にでも現実を突きつけられ、受け入れること。一番受け入れたくないことを受け入れないと、進めないから。

「あぁ、悲しい」「さみしい」「私もそっちに行きたい」

そんな思いに駆られることなんて、できませんでした。

悲しいと思った瞬間に、子どもが泣く。逆に、笑ってくれるときもありました。

悲しいという気持ちを爆発させたいのに、抑えなければいけない。そんなもどかしさ。でも同時に、それが救いになることもありました。

子どもの存在が、私を現実に引き戻してくれた。今思えば、それがあったからこそ、私は生きることができたのかもしれません。

強制終了がかかった日―体も心も動かなくなった

私の場合、数ヶ月たって、体も心も動かなくなり、引きこもり生活になりました。いわゆる「強制終了」がかかったんです。

無感覚な気持ち

ここでは、悲しみも味わえないくらいの無感覚な気持ちもあったように思います。

頑張りすぎた反動。我慢しすぎた代償。それが、一気に来たんだと思います。

悲しいという感情すら湧いてこない。何も感じない。ただ、ぼんやりと日々が過ぎていく。

今思えば、心が自分を守るために、感情をシャットダウンしたのかもしれません。

死別後のプロセスは、人それぞれです。

すぐに悲しみに浸れる人もいれば、私のように悲しむ暇もない人もいる。すぐに立ち直れる人もいれば、何年も苦しむ人もいる。

そこに、優劣はありません。ただ、それぞれの状況と、それぞれのペースがあるだけです。

「悲しみは同じ」という言葉への抵抗

だから、「悲しみは同じ」と言われると、すごく抵抗があります。

そして、忘れられない言葉です。

同じじゃない。私の悲しみは、私だけのもの。あなたの悲しみとは違う。

そう思ってしまうんです。

なぜ「同じ」という言葉に抵抗を感じるのか

考えてみると、「悲しみは同じ」という言葉には、こんなニュアンスが含まれているように感じてしまうんです。

「みんな同じように悲しいんだから、あなただけが特別じゃない」 「私も悲しかったけど乗り越えたから、あなたも乗り越えられるはず」

そう言われているような気がして、自分の悲しみが軽く扱われているように感じてしまうんです。

「気持ちが分かる」という言葉にも敏感に

「気持ちが分かる」と言われることでも、ちょっとしたニュアンスに敏感になっています。

もちろん、受け入れられることも、受け入れられる人もいます。

同じ「旦那様を亡くした」という立場の人に「わかる」と言われると、すごくうれしく思えます。救われた気持ちになります。

でも、「同じ」とは思えない。

それぞれの悲しみがあるし、それぞれのグリーフがありますね。

同じように夫を亡くしても、その関係性、その人との思い出、その人との約束、子どもの有無、経済状況、周りのサポート——全てが違います。

だから、悲しみも違って当然なんです。

面倒くさいくらい、言葉に敏感になった

本当に、自分は面倒くさいくらい、言葉に敏感になったなと思います(笑)。

でも、それは仕方がないことなんだと、今は思えます。

言葉に敏感になったのは、それほど大切な人だったから。

生活を共にしよう、人生を共にしようと約束した人の喪失体験は、自分の人生の中で一番つらかったことで、一番乗り越えるのに頑張ったこと。

そこに、プライドみたいなものがあるのだと思います。

余計なプライドなのかもしれませんが、時に、そのプライドが自分を支えていると感じることもあります。

だからこそ、今を生きていられる。

「プライド」という言葉の持つ意味

ここで言う「プライド」は、傲慢さではありません。

「私はこれだけ大切な人を失った」 「私はこれだけ辛い経験を乗り越えてきた」 「私の悲しみは、私だけのもの」

そういう、自分の経験への誇りのようなものです。

そのプライドがあるから、簡単に「同じ」と言われたくない。そのプライドがあるから、自分の悲しみを大切にできる。

そのプライドがあるから、今も前を向いて歩いていける。

このプライドは、あった方がいい

このプライドが邪魔をすることもあります。

例えば、善意で声をかけてくれた人の言葉を、素直に受け取れないことがある。必要以上に傷ついてしまうことがある。

でも、私は相手を尊重することができるようになりました。

境界線を引けるようになった

このプライドがあることで、自分と相手の境界線を引けるようになったんです。

その人の言葉はその人のもの。私が受け入れるかどうかは、私が決める。

そう冷静に思える自分になりました。

時々、嫌な言葉が浮かんできても、「この人はこう思っているんだな」と客観的に捉えられるようになりました。

そして、受け入れたくない言葉は、受け入れなくていいと思えるようになりました。

このプライドは、自分を守る力にもなっています。

「私の悲しみは私のもの」というプライドがあるから、他人の言葉に振り回されない。

「私はこれだけ頑張ってきた」というプライドがあるから、自分を否定しない。

こういうプライドは、もしかしたらあった方がいいのかもしれません。

向き合ってきて、良かった

だから、あの時向き合って良かったと、いつも思います。

悲しみと向き合って、言葉への敏感さと向き合って、自分の中に芽生えたプライドと向き合って。

それが、今の私を作ってくれました。

悲しみを我慢する必要はありません。

「もう○年も経ったんだから」と言われても、悲しい時は悲しい。それでいいんです。

あなたの悲しみは、あなたが決めるもの。他人が決めるものじゃありません。

「私は面倒くさい人間だ」と思う必要はありません。

言葉に敏感になるのは、それだけ大切な人を失ったから。それだけ深く愛していたから。

その敏感さを、責めないでください。

あなたの悲しみは、あなただけのもの

もし、あなたが今、誰かから「悲しみは同じ」とか「気持ちは分かる」と言われて、モヤモヤしているなら。

それは、あなたが面倒くさいわけじゃない。

あなたの悲しみは、あなただけのもの。

それを大切にしていいんです。

そして、その悲しみと向き合って、乗り越えようと頑張っている自分を、誇りに思っていいんです。

そのプライドは、余計なものなんかじゃない。

あなたを支える、大切なものだから。

あなたが大切な人を失った経験は、あなただけのもの。 あなたが感じる悲しみは、あなただけのもの。 あなたが歩んできた道は、あなただけのもの。

それを誇りに思ってください。

あおいほし
あおいほし

自分のペースで、ゆっくりと前に進んでいってください。

あなたの悲しみを、誰にも軽く扱わせないでください。

それは、あなたの大切な人への、最後の愛情です。

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