【独り言】静かすぎる夜に、ふと押し寄せる寂しさのこと死別から15年、静かすぎる夜に押し寄せる寂しさ。亡き夫を想う時間を「愛情の形」に変えるまで

【独り言】静かすぎる夜に、ふと押し寄せる寂しさのこと死別から15年、静かすぎる夜に押し寄せる寂しさ。亡き夫を想う時間を「愛情の形」に変えるまで

本当に、些細なことなんです。

「ただいま」と言っても、「お帰り」と返してくれる人がいない。

そんな些細な一コマが、大切な夫を亡くすと、喪われてしまう。それがどれほど尊いことだったのかは、喪ってから分かるもの。

そして、ちょっとした心の隙のようなものがあるときに、ぐっと押し寄せてきたりするのです。

今日は、そんな静かな夜の独り言です。同じように大切な人を亡くした方に、少しでも寄り添える記事になれば嬉しいです。

夫のいない生活には、慣れた

私自身、夫のいない生活には、さすがに慣れました。

いないことが当たり前。毎朝、若い彼の写真に手を合わせるのも当たり前。心が大きく揺れ動くことは、今ではほとんどありません。

それがデフォルトです。

死別から15年。長い時間をかけて、私は一人の生活に慣れてきました。

朝起きて、子どもたちを送り出して、仕事をして、家事をして、寝る。そんな日常が、当たり前になりました。

夫がいないことに、いちいち悲しんだりすることもなくなりました。それが、私の日常だから。

でも、急に子どもたちが家にいない夜。

ふとした静けさを感じたときに、すっと入ってくることがある。

日常が、静かすぎるのです。

いつもは子どもたちの声や生活音で賑やかな家。でも今日は誰もいない。シーンとした静けさの中で、一人でコーヒーを飲む。

そんな時、ふと、寂しさが押し寄せてくるんです。

静かすぎる時間が増えていく

子どもたちはどんどん成長します。家にいる時間も、かなり減ってきました。

部活、友達との約束、塾——。子どもたちは、自分の世界を広げていきます。

子どもが小さい頃は、あんなに欲しかった時間なのに、今は「静かすぎる」と感じる。

「一人の時間がほしい」 「ゆっくり休みたい」

あんなに思っていたのに。いざその時間ができると、静かすぎて、寂しい。

人間というのは、本当に勝手な生き物です。

子どもたちの成長は、親として本当に嬉しいことです。

でも同時に、「ああ、私の役割も終わりに近づいているんだな」という寂しさも感じます。

そして、その寂しさが、夫への想いを呼び起こすんです。

コーヒーを飲むときに思い出すこと

コーヒーを飲むとき、ふと思い出すことがあります。

「夫はコーヒーが好きだったな」とか、 「たばことコーヒーって合うよね」なんて話していた、あんな些細な会話すら、もうできないんだな、という気持ちが押し寄せることがある。

当時は、本当に何気ない会話でした。

特別なことを話していたわけじゃない。でも、そんな何気ない会話ができる相手がいる、ということ自体が、とても尊いことだったんだと、今になって気づきます。

「今日、こんなことがあってね」 「そうなんだ」

そんな、他愛もないやりとり。それができる相手がいる幸せ。

今まで振り返ることもなく、ただ突っ走ってきたけれど、これからは、こんな時間が増えるのかもしれないな、と思います。

子どもたちが小さい頃は、本当に必死でした。悲しんでいる暇もなく、ただ前を向いて走り続けてきました。

でも、子どもたちが成長して、少し時間ができると、こうして振り返る余裕が生まれる。

それは、悪いことではないのかもしれません。

当たり前にあった言葉が、ない

当たり前に交わしていた言葉が、当たり前にないこと。

それが急に、寂しく感じる。

「ただいま」と言って、「お帰り」と返してもらえる。

本当に、些細なやりとりです。でも、その些細なやりとりができる相手がいる、ということが、どれほど尊いことか。

失って初めて、気づきました。

落ち込むわけではないのですが、急に、夫との時間が尊かったな、もっと笑っていたかったな、と、静かに寂しくなるのです。

激しい悲しみではありません。穏やかな、でも確かな寂しさ。

それが、静かな夜に、ふと訪れるんです。

「いる」という日常こそが尊い

夫婦仲たがいをしている人は、「夫にいなくなってほしい」と本気で思うこともあるみたいですが、私にとっては、「いる」という日常こそが尊い。

喧嘩をすることも、意見が合わないことも、イライラすることも、全部ひっくるめて。

「いる」ということ。それ自体が、尊いんです。

そして、なぜ私には、その時間が奪われたのだろう、と思ったりもします。

答えのない問いです。何度考えても、答えは出ません。

でも、時々、そう思ってしまうんです。

さんざん考えてきたのに、また考える

さんざん考えてきたのに、また考える。

15年間、何度も何度も考えてきた問い。「なぜ」「どうして」と。

でも、静かな夜には、またその問いが浮かんでくる。

きっとこれは、一生の中で、出たり引っ込んだりする感覚なんだろうと思います。

完全に消えることはない。でも、常に苦しめられるわけでもない。

時々、ふと顔を出す。そんな感覚。

心理学では『継続する絆』という考え方があるそうです。亡くなった人と物理的に離れても、心の中で対話を続ける。この揺らぎも、夫との絆が続いている証拠なのかもしれませんね。

その揺らぎは、過去に比べたら本当に穏やかなもの。ちゃんと受け止められるものです。

「たまに考えないとね」

そう思って、楽しかった頃の感覚を思い出すと、心が落ち着きます。

悲しみに飲み込まれるのではなく、静かに受け止める。そんなふうに、付き合えるようになりました。

子育てを手放していく準備

子どもたちが手を離れていけばいくほど、この時間は、また巡ってくるのかもしれません。

子育てを、上手に手放していく準備の始まりなのかもしれませんね。

子どもが小さい頃は、「母親」としての役割が大きかった。でも、子どもたちが成長すると、その役割も少しずつ変わっていきます。

そして、自分自身と向き合う時間が増えていく。

夫との思い出と向き合う時間も、増えていくのかもしれません。

でも、それも悪くないな、と思います。

静かに、穏やかに、夫との時間を思い出す。そんな時間があってもいい。

それは、悲しみではなく、愛情の形なのかもしれません。

静かな夜の独り言

今日は、そんな静かな夜の独り言でした。

答えのない問いを、また考えてしまう夜。でも、それもまた、人生なのかもしれません。

もし、あなたも同じように、静かな夜に寂しさを感じることがあるなら。

それは、あなたが大切な人を深く愛していた証拠です。

その寂しさを、否定しないでください。静かに受け止めて、大切にしてください。

それは、あなたの大切な人への、愛情の形なのだから。

あおいほし
あおいほし

今日も、あなたのそばに、大切な人の存在を感じられますように。

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