死別から15年が経って気づいたこと|夫がインストールされている、という不思議な感覚

死別から15年が経って気づいたこと|夫がインストールされている、という不思議な感覚

私は死別して、今年で15年になります。もうそんなに経ってしまったのかと思うと、あっという間のような、長かったような、不思議な気持ちです。

最初の数年は、本当にしんどかった

最初の数年は、本当にしんどかったですね。何をしても涙が出るし、笑えないし、生きている実感もありませんでした。

でも、カウンセリングに出会ってから、どんどんと気持ちは楽になりました。その勉強が私にはまり、夢中になれたことで、悲しさを緩和できたのかもしれません。

それと相反するようですが、学ぶたびに自分と向き合うことになったので、常に夫とともにいるような気持ちで前に進めたと思います。

カウンセリングを学ぶということは、自分の内面を深く見つめることでもあります。そのプロセスの中で、夫との思い出、夫が私にくれた言葉、夫が大切にしていた価値観、そういうものと何度も向き合いました。

夫のことを、ものすごく考えた人生になった

振り返ると、夫のことをものすごく考えた人生になりました。考えすぎて、今は夫がインストールされている感じです。

この「インストールされている」という表現が、一番しっくりきます。もう外付けのハードディスクではなく、内蔵されている。いちいち思い出そうとしなくても、自然と夫の視点が浮かんでくる。そんな感覚です。

だからたとえ今、夫のことを考える時間が減っていたとしても、それを他人がいくら冷たいと思ったとしても、私はそうは思いません。私は私なりの夫への想いがありますし、それを自分が理解しているから、それで十分ということです。

時々、「もう忘れたの?」とか「まだ引きずってるの?」とか、そういう言葉をかけられることがあります。でも、そんな単純な話じゃないんですよね。忘れるとか忘れないとか、引きずるとか引きずらないとか、そういう二択の問題ではないんです。

嫌な言葉を言われたら、どうするか

誰かに何かを言われて、嫌な気持ちになることもあります。それはその言葉に「反応」しているだけ。人生の目的が「幸せ」であるなら、その反応をどう扱うかは自分で決めます。

相手は私を責めたとする。相手を怒らせたり、言い負かすことが目的なら、私も相手を責めますが、それは短期的な感情の処理でしかありません。その瞬間はスッキリするかもしれないけれど、後に何も残らない。むしろ、後味の悪さだけが残ります。

「幸せになること」が目的であれば、その目的に向かってどうするかを考えて対応します。そこになるべく感情は脇に置いて、実行します。これは簡単なことではありません。感情的になりたい瞬間もたくさんあります。でも、一歩引いて考える習慣をつけると、人生がずいぶん楽になります。

夫だったら、何と言うだろう?

そこで私は、夫目線を必ず入れています。夫だったら、私に何と声をかけるだろう?夫だったら、どういうふうに子どものことを想うだろう?それで、おおよそのことは答えが出ます。

これができるのは、それだけ「私と過ごした彼」を考え続けたからです。正直、彼の子ども時代とか、私と一緒にいなかったときのことはどうでもいい。考えても、わかり得ないことだからです。

私に対してどうだったのか。私の知っている彼はどうだったのか。それを、私の答えにしています。私が知っている夫は、こういう時にこう言う人だった。こういう状況ではこう考える人だった。その積み重ねが、今の私の中にあります。

だから、困った時には夫に相談します。もちろん、実際に会話ができるわけではありません。でも、心の中で問いかけると、夫ならこう言うだろうな、という答えが浮かんでくるのです。それが、「インストールされている」という感覚です。

「空から見ているよ」の本当の意味

亡くなった人のことをよく「空から見ているよ」と表現しますが、それは高い視座を持ち、俯瞰的に考えろ、という意味なのかもしれません。

迷路の中にいる私を、上から夫は見ている。そういうイメージを持てば、ここは違う道なのか、進むべき道なのかを、自分で決められるようになります。

迷路の中にいると、目の前の壁しか見えません。右に行くべきか、左に行くべきか、わからなくなります。でも、上から見ている人には、全体の道筋が見えています。どっちに行けば出口に近づくのか、わかります。

夫は今、その上から見ている存在なのかもしれない。そう思うと、迷った時に「夫ならどう思うだろう?」と問いかけることで、自分の進むべき道が見えてくる気がします。

彼は、私を幸せにすると約束してくれたのだから。その約束は、彼が亡くなった今も変わらず続いています。ただ、形が変わっただけ。隣にいて手を握ってくれるのではなく、心の中から私を支えてくれている。そう信じています。

15年経って、私が伝えたいこと

死別から15年。長い時間が経ちました。でも、私はまだ夫のことを忘れていません。忘れる必要もないと思っています。

大切なのは、亡くなった人のことを忘れることではなく、その人との思い出を抱えながらも前に進むこと。その人が望んでいた「あなたの幸せ」を実現すること。

もし今、死別の悲しみの中にいるあなたがこの記事を読んでくれているなら、伝えたいことがあります。

今は辛くて、先が見えなくて、どうしていいかわからないかもしれません。でも、時間は確実に流れていきます。そして、その時間の中で、あなたは少しずつ変化していきます。

悲しみがなくなるわけではありません。でも、悲しみと一緒に生きていける自分になります。亡くなった人のことを考えながらも、笑える自分になります。その人がいない人生を生きていける自分になります。

それには時間がかかります。私も15年かかりました。今もまだ、進行形です。でも、確実に前に進んでいます。あなたも、きっと大丈夫です。

あなたにも、インストールされていく

あなたの大切な人も、これから少しずつ、あなたの中にインストールされていきます。最初は思い出すだけで涙が出るかもしれません。でも、そのうち、その人の言葉が自然と浮かんでくるようになります。

「あの人ならこう言うだろうな」「あの人ならこうするだろうな」そう思える瞬間が増えていきます。それは、その人があなたの中で生き続けているということです。

だから、無理に忘れようとしなくていいです。無理に前を向こうとしなくていいです。あなたのペースで、あなたのやり方で、その人との関係を続けていけばいいのです。

15年経った私が言えることは、ただ一つ。時間は、味方になってくれます。今は信じられないかもしれませんが、本当です。

彼は、私を幸せにすると約束してくれました。その約束を果たすために、私は今日も生きています。あなたの大切な人も、きっとあなたの幸せを願っているはずです。

だから、生きてください。あなたのペースで、あなたらしく。

そして、いつか笑えるようになったら、それは決して亡くなった人を忘れたからではありません。その人があなたの中にいるから、その人の分まで笑えるようになったのです。

私は、そう信じています。

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